「正露丸」をめぐる商標権の係争
商品の名称やマークなどは消費者の購買意識に強く訴求する重要なポイントとなるだけに、登録商標としてその権利を独占できるか否かは、企業の死活問題となる場合さえあるのです。事実、商標に関しては、企業間で実に多くの係争が起きています。
有名な事案では「正露丸」をめぐる係争があり、これらは日本の企業社会における商標権の問題について少なからぬ示唆を与えています。今回は「正露丸」をめぐる商標権の係争事案を紹介し、その問題の本質を掘り下げてみましょう。
「正露丸」をめぐる商標の係争
正露丸はクレソートを主成分とする胃腸薬で、特に腹痛や下痢などに効き目がある医薬品として日本では20世紀初頭から販売されており、すでに100年以上の歴史を有しています。日露戦争時に軍用医薬として用いられ、ロシアを征服する意を込めて「征露丸」と命名されたことがきかっけとなり、その後一般に広まったとされています。
戦後の1954年には大阪市の「大幸薬品株式会社」が「正露丸」の名称で商標を登録しています。ところがすでに同名の医薬品を販売していた他社がこれに異を唱え、翌年の1955年に商標の登録無効審判を特許庁に請求します。これが却下されると同社はさらに東京高裁に審判取消し訴訟を起し、係争は司法の場に持ち込まれたのです。
そして、東京高裁は1971年に「正露丸」の呼称はすでに一般名詞化していると判断し特許庁の審判を覆したのです。さらに1974年には最高裁もこれを支持したことから、大幸薬品の登録商標である正露丸は商標としての効力を失いました。これは、正露丸の商標権を大幸薬品に与えた特許庁の判断が誤りであったと最高裁が認定したことを意味しています。
ラッパのメロディを商標出願
商標法では登録商標を登録から外すという制度がなく、大幸薬品側も登録を更新し続けているため、「正露丸」はその独占権が失効した状態の登録商標であるという奇妙な存在になって現在にいたっています。最高裁のお墨付きを得たことで、今では薬局の棚には実に多くの「正露丸」が並んでいます。
正露丸を登録商標を持っている大幸薬品は、他社が発売する同名商品に対抗するために「ラッパのマーク」を商標登録し、テレビなどで「ラッパのマークの正露丸」というフレーズを強調して他社との識別化を計りました。
そして、2015年4月にスタートした「音の商標制度」を利用して、今度はテレビCMでおなじみとなった旧日本軍が兵隊に食事召集を報せるラッパのメロディーを新たに音の商標として出願したのです。
注目される特許庁の判断
現在、大幸薬品は「正露丸」と「ラッパのマーク」という文字と図形の商標と同時にパッケージの展開図も商標として登録しています。これにラッパのメロディーが加わることによって、胃腸薬としての正露丸のイメージを同社の商品に導くための広告戦略の総仕上げとして位置付けているものと想定されます。「ラッパのマークの商品こそ本物の正露丸の証しである」という認識を消費者に持たせるために、ラッパのメロディーを商標登録とすることは必要不可欠であると判断したのでしょう。
正露丸をめぐる一連の係争では、むろん戦後の混乱期に登録された点と、当時の特許庁の判断ミスを指摘した裁判所との関係に加えて薬品業界の苛烈な販売競争が絡んで起きた事案といってよいでしょう。しかしながら、同様の係争は今後も発生する可能性があり、登録済の商標とすでに普通名詞化した呼称との関連について考えさせられる出来事でもあります。
また、すでに周知されていた旧陸軍が使用していた楽節を一部編曲しただけというラッパのメロディーの商標出願に対し、特許庁がどのような判断を示すかという点も大いに注目されており、結果いかんによっては今後の音の出願に与える影響は少なくないものと思われます。